ここまでのあらすじ

人生という物語も、伏線が多いほど面白い

「専門職」の一番の報酬

どうもこんにちは。

白衣さんです。

 

前回の記事がかなりアレだったので、今回は、少しまじめな話をしたいと思います。

カテゴリは「持論」。テーマは「『専門職』にとっての一番の報酬」です。

 

 

まえおき

生きていくには、食べ物を手に入れなければいけません。

食べ物を自給自足できない場合、「お仕事」をして「お金」を稼がなければいけません。

 

「お仕事」は、生きていくために必要なお金を手に入れる手段、

であるのは間違いないのですが、

仕事にもいろいろな種類や目的があります。

 

あなたが何かしかの仕事に就くことができ、日々暮らしていくのに十分な収入が得られているとしましょう。

 

しかし、「生き物」として生きるだけでなく、「ヒト」として「幸せ」に生きていくためには、お金がたくさんあって、食べ物に困らないだけでは、不十分な場合もあるのではないでしょうか。。。

 

 

その仕事に携われること自体が一番の報酬

これは、私の「持論」であり、「哲学」なので、一般論だとか、本来こうあるべきだ、というつもりは全くありません。

 

ですが、私は、こう信じています。

 

『専門職』にとっての一番の報酬は、その仕事に携われること自体である、と。

 

(ここでの「専門職」とは、特別な知識や資格、訓練が必要なく、アルバイトの様に誰でもできて、良くも悪くも代わりがきくような仕事以外のものを指すと思って下さい。)

「一番の報酬」なんて、回りくどい表現なんてせずに、「やりがい」という一言で表現してしまえばいいじゃないか、と思う人もいると思いますが、

それでは、ある誤解を招きそうな気がするので、少し説明したいと思います。

 

「やりがい」ときくと、「人のためになるヨロコビ」だとか、「人間としての成長」みたいなものをイメージする人が多いのではないでしょうか。

 

「やりがい」には、もちろんそういった側面もあると思うのですが、

いわゆるブラック企業が、これに近い定義をやたらとスローガンとして掲げ、

従業員に無茶な仕事を強いている風潮がある昨今(私の見解です)、

そういう意味だと解釈されてしまうと、私の考えとはズレてしまうのです。

 

私が強調したいのは、

『専門職』を、やりがいをもって続けていくためには、

「社会貢献」といった、他人の役に立つことへのヨロコビだけでなく、

自分自身にとっての個人的なヨロコビ(生きがい)がそれ以上に重要だ、

ということなのです。

 

例をいくつか挙げてみるのが手っ取り早いでしょう。

 

 

たとえば

鉄道の運転手や飛行機のパイロット

一つだけ例を挙げろ、と言われれば、この例が一番わかりやすと個人的には思っています。

 

もうお気づきの方も多いと思いますが、

私の持論では、運転手やパイロットにとっての一番の報酬

「電車を運転できること、飛行機を操縦できることそのもの」

であるのではないだろうか、ということです。

 

電車の運転手のお給料がどのくらいなのかはよく知りませんが、飛行機のパイロットの給料は、結構高いというイメージがあり、実際そうなのだと思います。

飛行機の運転には、膨大な専門知識と大変な訓練が必要であり、フライトのたびに大勢の命を預かる責任もあるため、給料が高いのは納得です。

 

しかし、給料が高いから、という理由でパイロットを目指す人は果たしてどれだけいるのでしょうか。

もちろん、きれいなキャビンアテンダントさんにモテモテになりたいという動機でパイロットを目指す人もいるかもしれません。

しかし、パイロットと同等か、それ以上に給料が高かったり、女性からモテモテになれる職業は他にいくらでもあります。

 

では、なぜ、パイロットを目指すのか。

それは、パイロットへの「憧れ」飛行機への「愛(好きな気持ち)」が一番の動機でしょう。

そういう人にとっては、高い給料は二の次で、実際に自分の手で飛行機を操縦できることこそが、何よりものヨロコビ、つまりは生きがいであっても、何の不思議もありません。

 

海外での事情はよく知りませんが、幅広いオタクジャンルの中でも、鉄道マニア、いわゆる「鉄っちゃん」という存在は、国内で広く知られていると思います。

鉄道関係の仕事をされている方々は、本当に鉄道が好きなんだなぁ、と感じられることがよくあります。

 

鉄道が好きな人が全員鉄道関係の仕事に就くわけではありませんが、

鉄道関係の仕事に就職した時点で、鉄道のことが嫌いな人はまずいないのではないでしょうか。

 

スポーツ選手

好きなことを仕事にする、のは簡単なことではありません。

その理由の一つに、仕事の内容によっては、「才能」や「環境」という要素が決して無視できない場合があるからです。

 

鉄道の運転手やパイロットは、視力が著しく足りなかったり、手足が不自由といった身体的なハンディキャップがなければ、

憧れを胸に、マニュアル化された訓練をやり切ることで、誰にでもなるチャンスがあるでしょう。

 

しかし、スポーツの世界の様に、そうはいかないキビシイ世界も少なくありません。

たとえ才能に満ち溢れていたとしても、家庭の環境や国の情勢によっては、それを発揮できない人も大勢います。

 

でも、だからこそ、選手として活躍し、大会で優勝し、オリンピックに出場できることは、

応援してくれている観客に夢と希望を与えられることと同じぐらい、

選手本人にとって、その人の人生にとって、お金や他のものとは代えがたいヨロコビであるはずです。

 

教師

ここで言う教師とは、小・中学校や高校を指します。

(塾や予備校、大学はここでは除きます。理由としては、塾や予備校は、アルバイト、としての側面が大きいから、大学の教員は、資格試験などがなく、業務の一環として大学から任され、請け負っているという場合が多いからです。もちろん、塾や予備校、大学にも、「教育」の理念に則って、立派な活躍をされている人もいます。)

 

「教育」というのは昔から問題や議論の尽きない難しいテーマですが、

それだけ重要なものである、という点は議論の余地はないでしょう。

 

実は私も教員免許複数持っており、「教育」についてもいくつかの持論があるのですが、長くなるので、また別の機会に書きたいと思います。

 

ここでは、「人が人を教え導く」というは、そうそう簡単なことではなく、

誰でもできることではないということを強調しておきます。

 

もちろん、教える側の立場として、個人的な理想を生徒に押し付けたり、

自己満足に陥ることはあってはならないことです。

 

これは、私の理想や願望が大きいのですが、

 

生徒と関わることで、教師もまた日々成長することができ、

巣立っていった生徒が活躍していることをともに喜び、誇らしく思うこと

 

それこそが、教師としての生きがいであるべきであり、

そう心から思える人が携わるにふさわしい職業だと思います。

 

医者や弁護士

国家資格が必要な職業といえば?という質問に、真っ先に思い浮かぶのがこの二つではないでしょうか。

(実は、教員免許は「国家資格」ではありません。)

 

人の命を救いたい。困っている人を助けたい。

そんな思いは、誰しも持っているものだと思います。(思いたいです)

 

しかし、いざ、具体的に何かできるかといえば、誰にでもできることではありません。

 

確かに、給料の高い職業の代名詞でもある職業であり、

手先の器用さや、記憶力の良さなどを生かして、儲かるから、という理由でこの仕事をしている人も少なくないとは思います。

 

しかし、 そんな人は、ごく一部であると思います。(思いたいです)

なぜならば、医者や弁護士とい職業は、相当なスキルと努力と費用が掛かる進路であるため、

それを達成できるだけの人物にとっては、飛行機のパイロットの時と同様に「お金を稼ぐ」手段は、ほかにいくらでもあるでしょうし、したいことをそのまま仕事にすることも十分可能であるはずです。

そうにもかかわらず、自分の人生の大半を費やして、この職業に就き、日々の仕事を全うしている人が大勢いることは、「お金」だけでは説明できないでしょう。

 

やはり、

資金や物資を援助したり、科学技術の発達や法律の整備といった間接的な形ではなく、

困っている人を、自らの手で直接助ける、ということが実際にできることが、

医者や弁護士とっての一番の報酬、つまりは生きがいに他ならないからだと、私は信じているのです。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。ここで述べたことは、あくまで私個人の解釈や哲学です。

しかし、共感していただけた部分もあるのではないでしょうか。

 

自分が望むありとあらゆることを、すべて自分の手で達成・実現できる人は、

世界中どこにもいません。

だからこそ、すべての仕事には、必ず「やりがい」があります。

 

しかし、ある一つの仕事が、誰にとっても「生きがい」のある仕事であるとは限りません。

 

「とにかくお金を儲ける」ということが生きがいだという人もいるでしょうし、それはそれでいいとおもいます。会社の経営などの場面では、そういう人がメンバーにいることが、役に立つことも大いにあるはずです。

 

これは、自分へのメッセージでもあり、改めて決意表明する意味も込めているのですが、

これを読んでくださったみなさんにも、どうか、「生きがい」のある人生を歩んでほしいと願っています。

 

ただ食べて寝るだけの「生き物」としての生き方でも、

誰かの謳う「やりがい」に流されるのでもなく、

自分が、自分こそがヨロコビを感じることができる、生きがいを感じられる何かを見つけて、

それと共に過ごしていくことのできる人生へとチャレンジを続けていってほしいと願っています。

 

白衣さんは、「専門職」だけでなく、お仕事を頑張っているすべてのみなさんを応援しています。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

それでは、また次回でお会いしましょう。ノシ